新陰流兵法転会
本部教場
Shinkageryu-Hyoho-Marobashikai
Hombu-Kyojo
新陰流兵法とは
新陰流兵法(しんかげりゅうひょうほう)は、流祖上泉伊勢守信綱が足利時代末期・戦国の世に創始した、日本の剣術を代表する流派です。
上泉伊勢守は上州(群馬県)の人で、幼少より香取神道流、小笠原流軍法軍敗、禅等を修行し、長じては愛洲移香斎より陰流の教えを受け、特にその中より人性に自然・自由・活発なる「転(まろばし)の道」を抽出して、ここに新陰流を創始しました。
その後、新陰流第二世柳生石舟斎は新陰流を更に整備し、その子柳生宗矩が徳川将軍家師範となるに及び、新陰流の盛名は確固たるものとなりました。
新陰流はさらに、尾張藩に兵法師範として仕官し近代剣法への改革を成した三世柳生利厳、および柳生厳包、中興の祖といわれる柳生厳春等の先師を経て、尾張藩剣術教導総裁を勤めた柳生厳周、近衛師団師範を勤めた柳生厳長、その補佐役を勤めた渡辺忠敏と継承されました。
そして現在では、新陰流兵法転会を発足させた渡辺忠成と、その子渡辺忠久が、流祖以来多くの先師が加味伝承させてきた新陰流の技法を完全な形で伝えております。
転会とは
新陰流兵法転会は、新陰流の遺伝・弘流(ぐりゅう=流儀を広めること)を目的に昭和44年1月、渡辺忠成により発足しました。平成31年1月、発足50周年を機に一門制へと改めました。「流儀の伝統・文化を守り伝えていくこと」「弘流・顕彰活動の更なる深化」を目指し、現在は新陰流兵法一門として活動しています。一門の親睦会としての集まりを「転会(まろばしかい)」としております。
令和5年5月現在、日本国内に16教場と2分教場、海外では1教場と3か国の海外転会が活動しております。日本武道の代表的存在である新陰流を技術的にも文化的にも完全な形で誤りなく継承していくことを第一の目的とし、各教場においては教場師範を中心とした指導陣の指導のもと、兵法の上達を目指し活気溢れる稽古を続けています。定期的に、二十二世渡辺忠成師範・二十三世渡辺忠久師範による指導も行っています。
新陰流は太刀(カタ)の稽古が主体である上、韜(ふくろしない=割竹に革袋を被せたもの)を使用するため危険が少なく、年齢性別を問わず参加できます。稽古は全くの基本から始めていきますので、武道・スポーツの経験は不要です。新陰流兵法と併せて、制剛流抜刀術・新陰流杖術を稽古することもできます。
本部教場
新陰流兵法転会 本部教場は、埼玉県川越市の川越武道館で、毎週日曜日の午後に稽古を行なっています。
川越武道館での稽古は、昭和51年(1976)の11月から行なっており、45年以上の歴史のある教場です。
目録を授与された後に稽古する新陰流の本伝を身につけていくために、それまでの課程においても、基本的なことをしっかりと稽古していくことを大切にしながら、毎週明るく楽しく活気ある稽古を続けています。